日進月歩 見聞主義

三十路から再び音楽を志した人の活動日誌

モニタ上の音楽制作がもどかしい

今日は余暇をまた改善点の分析に充てた。

 

初めは連想ゲーム的な遊び感覚の軽い気持ちで、ずっと初期からうまくいかなかったところまで色々とブレイクダウンしていくうちに、とうとう認めたくない事実に近づいていった。

例えば、自分に有りがちな失敗パターンが、

「個人的にイケてると思って意気揚々とした曲に限ってコケる」

というイタイ感じのものなのだが、これも考えてみると

「もはや自分の感性が古くなりすぎてるか、そもそも生まれた時からピンずれ」

というダサき可能性がまことしやかに危惧され、故に

「もはや自分のカンは何ひとつアテにできないのではないだろうか」

という惨憺たる問題提起に、こんな具合にぶち当たったのだ。

オーマイガー。年月の経過って怖い。

過去に聞いていたものの影響すごい。

僕は今後何を信じていけばいいのだろうか説。

 

あとは「最初からパソコンで作曲しながら進めてる曲は大抵上手くいってない」

だとか、「ソフトウェア上で音色選んでるうちに良い曲ができてると勘違いしてる」

だとか、「気づくとYouTube見てる」という類まで、色々と出てきた。

 

特効薬のない前者は「それもまた人生」だということで泣いて笑って諦めるしかないが、後者の作業中の悪癖や落とし穴は、まだ自力で舵を切り直すことができるかもしれない。

 

自分が老いさらばえた凡人たる所以の気づきかもしれんが、やっぱりパソコンは気を散らしてしまう。他にも思うのは、良くも悪くも作業面でもラクができるし、音楽的にも厳密すぎる部分も、もしかしたらあるのかもしれない。

あとは個人的には、鍵盤型コントローラなどが介されてモニタ上で音が鳴ったり、クリックしたら何か動作したりと、やや身体的にはワンクッション置かれて直感的になりづらいため、実体験として音楽してる感じが出づらいように思う時がある。

まぁこれも裏を返せば、自分の認識する音楽というものが、旧来の「楽器の形をしたもの」に囚われているということなのかもしれないけれども。

 

そんなわけで、今までは惰性で済ましてきた問題だけになかなか難しい。 

僕のギターの師匠もかつて「慣れはダレ」と言っていたっけか。

何れにしても自分には少し電脳を離れ演奏を叩き台にした制作の方が合うのかもしれない、などと思い直した。

これからはPCに向かう以前に、楽器1つかプラス歌で曲になっている状態をスタートラインにしてみようかと。

そういえば名だたるオーケストラ作曲家も、最初の一歩はピアノでの作曲から始めているらしいので。

 

近頃脇汗がやばい、アンティーク三十路のつぶやきでした。