日進月歩 見聞主義

三十路から再び音楽を志した人の活動日誌

悩み多いとき

自分はしょうもないレベルで「マジメ君」なので、そんな自分に困る時がある。

きちんと考えたりしすぎるので、うっかり躓くと途端に負のスパイラルにハマりやすいのだ。

正直なところ、今月は暑さによる疲労も相まって、悩んでる比率が高い。良くない兆候だ。

 

年齢とともに周囲から増していく期待や要求値がある。

プラス、いま自分はもう一度自分のやりたいことに取り組み始めているから、目標や出したい結果がある。

こうなるとどうしても、焦りと悩みが生じ、様々な局面で手っ取り早い結果や結論を求めるようになる。そして、自分を追い込みがちだ。

 

 

ふと、ようやく気付いた。こういう時は、自分を褒めるハードルを極端に下げるといいのだということに。

とにかく自分の「行動した」ことについてはとりあえず褒める。朝起きただけでも褒める。失敗した時は、生きてるだけで褒める。こんな感じで、たとえ1日の9割がしんどくても、小さな良いことを賞賛するようにした。ポジティブシンキングのゴリ押し。これで少し気持ちを持ち直せた気がした。

 

 

僕はゲームも好きで、一時期「マインクラフト」というゲームにハマっていた。このゲームにもサバイバルで生活するモードがあるが、現実では大変な農作業なども、ほとんどクリックで進めていくので、こちらで生き延びるのは現実よりはるかに簡単だ。ゲームだから当たり前だけど。

その自由度となんでも自分の思い通りになる感じ、ノルマやミッションがないので急かすものが無いまったり感、ゲームなのでいつでも中断できる気軽さで、一時期だいぶ中毒になっていたほどだ。

 

ゲームに比べると現実では、たとえ10000の労力でも1しか返ってこないなんてザラだ。

だから辛いのだが。まぁそういうわけで、いわばその「一握にも満たない砂粒1つ」を、自分で愛でることにしたのだ。で、おかげか少し内面のプレッシャーが軽くなったという話だ。

……これだけ書いていると啓発文で終わるので、きっかけの小話も。

 

 

 

そもそもこのことを間接的に教えてくれたのは職場の別部署で働く外国人のAさんという方だったように思う。

半年近く前、僕がEさんを含む何人かの従業員同士、社食で昼ご飯を食べていた時のことだ。ひょんなことから雑談が文化の違いの話になり、Aさんに日本での暮らしはどうですか、という感じのインタビューがスタート。

細部は端折るが、その聞いていた中で印象的だったAさんの語りが、

 

「今のこの暮らしの中で、外国人であることの苦労もたくさんあるし、自国にいた時も大変なことはやはりあった。でも嫌なこととかをいちいち挙げてたらきりが無いし消耗するので、今だったら日本や地域やこの職場のいいところだけを積極的に見るようにして、ポジティブに切り替えて自分をリチャージしている」

 

ちなみにAさんは激務な部署にいて、さらに子育てでも忙しい。旦那さんはIT関係で帰宅はいつも午前様だ。もともと残像が出るほど動きの早い方なのだが、驚くほど楽しそうに仕事をしている。そのスペックと気合で毎度定時に上がり、今度は子供を迎えに行っている。

 

そういう逆境に立ち向かうタフな方の発言だから、なおさら自分の耳にもとても残ったのだと思う。

ちなみに、また別の時と場所にはJさんという外国人スタッフ(しかもシングルマザー)という方がいたのだが、そういえばこの方もまた同じようなことをおっしゃっていた。気合でポジティブにもっていく、と。

このゴリ押しポジティブシンキング、どう略すべきか。ゴリポシ?ゴオポシ?ゴポシン?

ともあれ、新しい環境で頑張る方々の処方箋に、今こそ自分も見習わなくては、と改めてひとりごちたのだった。

 

 

さて、とりあえず、今日一日を無事終えてこの日記を書いている今の自分を僕はよく褒めることにする。